生まれ育った町、神戸からいろいろなものがなくなっていきます。パンダのタンタンはじめ、東急ハンズ、そごう(三宮そごうは阪急に、西神そごうは閉店)、シュークリームのヒロタ、さんちかタウンの風月堂の喫茶店、とだんだんローカルになってきましたので、これくらいに。
コロナが地方都市の衰退を一気に進めた感じ、しゃれた個人商店がならぶ元町商店街やセンター街は、今やナショナルチェーンばかり、若い人たちが個性的な店は、大手ドラッグストアの並びにもかかわらず家賃が高い三宮や元町には出店せず、市街のあちこちに分散してしまいます。結局、車で行くしかない場所に。。神戸は坂が多くて、歩いていくのはしんどいのです。
先日「人口減少社会のデザイン」(広井良典氏著2019年10月)という本を読みました。ちょうど1年前に出た本ですが、新型コロナ後の社会を予測したような内容でした。AIで未来予測したところ、都市集中型を続け、格差は広がるが経済は何とか保持するのか、地方に分散し、経済はほどほどながら幸福感が高まる分散型社会を築くのか、2つのシナリオの分岐点にあるのだという内容で、持続的な社会とは、という幸福感や死生観にも踏み込んで論じたもので、とても興味深く読みました。
この本には、ドイツの例が紹介されており、確かに都市が分散化され、ウィルスの蔓延もほかのEU先進国に比べて緩やかだったように思います。ドイツの事例として、街の中心部は、車が入れないよう規制され、街歩きが楽しめる。だからこそ、小さな商店や飲食店も商売が継続できると。フランクフルトやトラムが活躍するフライブルグの街を思い出していました。中心には決まって、モールや百貨店もありますが、、わざわざ上がって下がってというより、人々は平面を歩く方が楽ちん、大型店の規制もあるとは思いますが、共存共栄ができています。
<<ドイツフライブルグは、トラムが街中を走る以外は、みんな歩き。街の背後は黒い森。素敵です>>
私自身も、春に京都に移り住みました。東京の過密さ、居心地の悪さが気になり、自然がある、人間らしいところに逃げたくなったのが、きっかけ。もともと関西と東京を出張で往復する日々だったので、有り難いことに、仕事上はあまり変わることなく移り住むことができました。京都市内はほぼ平ら、歩いて、あちこち買い回りができ、スーパーもありますが、個人商店で購入する機会が増えました。
神戸の街も活気がなくなっているのは確かですが、なんとか生き残っている商店街もあります。実家のある長田商店街は、南北に3、400メートルくらいかの商店街、歯抜けながらも公設市場も残り、よたよた歩く、確実に80歳を超えている高齢者が買い物に集まります。ほんと、よたよた、のろのろですが、皆さん、何とか頑張って買い物に出て来られます。食品、惣菜、消費財など日用品です。
感染リスクと家にいて体力が劣っていくリスクと天秤にかけたら、どちらかわかりませんが、商店街をよたよた歩きで、商店街もなんとか生き延びる。といっても、歯抜け、しょっちゅう入れ替わりますが、
いつまで、この商店街があるのかわかりませんが、よたよた歩きの高齢者、商店、応援したいです。