私が学生時代を送った京都は、のんびりとしていて、今とはずいぶん雰囲気が違いました。入学したのがおおよそ40年前なので、変わって当然なのですが、今の京都には、何か銭ゲバ的なものを感じずにはおられません。
今では、京都府の統計を見てみると、平成29年には約9千万人の観光客がやってくる。平成元年の観光入込客数は5千5百万人ですから、量的にもキャパオーバー。国内外からの観光客があふれ、銭ゲバ化してしまうのも当然かもしれません。錦小路は、今や外国人の立ち食い屋台村と化しており、銭ゲバ京都(あの屋台群の運営者は生粋京都人ではないのかもしれません)の象徴ともなっています。
とはいえ、錦小路で落とすお金なんてしれているもの。ゲストハウスに泊まるような観光客(間違って柊屋や炭屋旅館、外資高級ブランドホテルに泊まることもあるでしょうが、、)はハナにもかけず、真の京都の商売人のターゲットは、東京人に的を絞っているなあと思う場面に出くわす機会がありました。
平安遷都から長い間都であった歴史をもつ京都は、歴史も浅く、しょせん田舎者の集まりである東京の人にとっては、劣等感交じりの憧れを抱く場所でもあります。まさに平安遷都1200年記念に、JR東海がうった「そうだ京都行こう」キャンペーン、これには多くの東京人がノックアウトされつづけております。新幹線で東京新神戸往復歴、35年の私が、最近感心するのは、西へ向かう新幹線、新大阪で下車するひとより、京都で下車する人の方が多いのではないかという、異常なまでの京都人気。また、芸能人や政財界人が、京都祇園の舞妓さんや芸者さんと付き合うのもちょっとしたステイタスになるなど、京都は、色々な方面でそのブランドを磨いてきました。
前置き長くなりましたが、
ここ何度か、京都の料理屋さんでは、東京を向いて仕事しているなあと気づく場面がありました。先週は、朝粥で有名なお店に行きましたが、1時間ごとに総入れ替え制となっており、1人前4,500円のお料理とお粥を機械的に出していきます。以前はこのスタイルではなかったように記憶しています。おいしいのですが、それよりも商売が上手だなあと感心する方に力が入ってしまいます。客単価×席数×回転数という業界方程式が頭を巡り、恐ろしいまでの数字がはじきだされます。8時、9時から早いめのお客さんは、おそらく遠方から宿泊しての来店だと思いますが、話している言葉は、標準語が多いです。外国人の方はほとんどおられません。
また、何年も先でないと予約がとれない、あるミシュラン星付きの有名店では、客席に皆着席してから一斉のスタート。そして終わる時間は、新幹線の最終時刻に合わせています。ほんと、東京人を向いて商売してはるな~と感心。真の京都商売人は、やはり商売上手です。
昔は、祇園のお得意さんは、関西財界人、大学教授と寺の坊さんと言われてましたが、今や、関西財界人など皆本社を東京に移しその存在はなく、今時の大学教授など金も時間も余裕なく、、残るはお坊さんくらいでしょうかか。当然、東京人を相手にしないとやっていけない事情もありますね。
「京都ぎらい」「大阪的「おもろいおばちゃん」はこうしてつくられた」など井上章一先生の書をこよなく愛する私の独断と偏見レポートでした。